社長の大学★長谷川博之

2021年4月10日3 分

人生は、いつ何が起こるか誰にもわからない…

動物に「引退」という言葉はありませんが、人間には、「引退」とか「隠居」という言葉があります。
 
人生100年時代と言われて久しいですが、人間に引退は必要なのでしょうか?
 

そこで今日は、人生100年時代をどう生きるのかをわかりやすく解説します。
 

 

ほんの30年前まで、会社員であれば60歳になると会社を退職して、年金暮らしがごく普通でした。
 
第一線を退き、悠々自適に老後を楽しむといった感じです…。
 
ところがその後、医療の発達もあり、日本は長寿大国となりました。
 
定年退職の年齢はどんどん伸びて、65歳は当たり前で65歳以降も嘱託として働く人も非常に多くなりました。
 

 

また、高齢者雇用を積極的員行っているモスバーガーの店舗もあります。
 
少子化の影響で人手不足ということもあるでしょうが、健康で元気なまだまだ働きたいという高齢者も数多くいますので、雇用する側と雇用される側の利害関係が一致します。


 

 
さて、人生100年時代、「二毛作」といったイメージで人生戦略を考えた方がよさそうです。

20歳~60歳までは1回目の人生で、60歳以降は2回目の人生です。
 
仕事でも、趣味でも、生き方でも、二毛作という発想をすれば楽しみが増します。
 
また、社会に貢献できる機会もたくさんあるでしょうから、生きがいにも通じます。
 
いずれにせよ、人生100年時代はいかにプランニングするのかが重要です。


 

 
これから紹介することは本当の話です。


 

 
キューバの世界的ミュージシャン「コンパイ・セグンド」がブレイクしたのは90歳の時です。
 
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にも出演していたので、ご存知の方も多いでしょう。

コンパイ・セグンド、彼が生まれたのは1907年です。
 
10代から作詞作曲をしていたそうですが、キューバ革命により、彼の音楽は資本主義の遺物とみなされ注目されることはありませんでした。
 
そこで彼は、葉巻屋で働きますが、なんと17年間1日も休みなく働いたそうです。
 

 

 
その後、葉巻屋を辞めて、音楽の表舞台に復帰したのは82歳の時です。
 
そして、90歳でブレイクしたのです。
 
偶然といえばそれまでですが、実はそうとは言えないのです。
 
彼は、その日のために準備をしていました。


 

 
たとえば、

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●90歳を超えても、毎日必ず2時間練習していた

●90歳を超えても、準備していた

●90歳を超えても、まだまだ上手くなりたかった

●90歳を超えても、女性を愛し続けた

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つまり、音楽を愛してきたのはもちろんのこと、人生も愛してきたのです。
 
そして、こう語ります。
 
「本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こるもんだ。夢に見てた好機、成功、愛…そんなものがいつ訪れるかなんて、誰にも分からないものさ。でも、準備して油断せずに気を配ってなきゃいけない。そういった流れは、普通、二度は現れないからさ」と。


 

 
この話は、ひすいこたろうさんの「絶望は神さまからの贈りもの」に掲載されています。
 

 

アメリカの国民的画家「グランマ・モーゼス」は、晩年リハビリを兼ねて油絵を描き始めました。
 
この時、実に76歳でした。
 
ですが3年後、あるコレクターがその絵に注目して80歳で個展を開きます。
 
この個展で彼は一躍有名になり、89歳の時にはトルーマン大統領にホワイトハウスに招待

されました。
 
101歳で亡くなるまで1600点の作品を残しました。
 

 

人生100年時代、このような遅咲きの努力家がたくさん輩出されるような気がします。
 
楽しみです。
 

 

 
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