先日、「ありがとうの日」と呼ばれるものがあるのを知りました。
ありがとうの日は3月9日です。
なぜ3月9日なのかといえば「サンキュー=ありがとう」ということです。
やはり、感謝を伝える言葉として最初に思い浮かぶのは「ありがとう」ですね!
「ありがとう」の語源は仏教に由来し、お釈迦様が説かれた「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え(たとえる)」に「ありがとう」の語源があるそうです。
お釈迦様が阿難という弟子に、こんなたとえ話をしました。
お釈迦様は「そなたは人間に生まれたことをどのくらい喜んでいるか?」と尋ねました。
なかなか答えられない阿難にお釈迦様は「果てしなくひろがる大海原を思い浮かべるがよい。その底深くに、目の見えいない一匹の亀(盲亀)がいる。その亀は100年に一度、海面に顔を出す。一方、海面には一本の丸太棒が浮いている。その丸太の真ん中に拳くらいの大きさの穴が空いている。丸太は波のまに風のまに波間をただよっているのだ。阿難よ、この眼の見えない亀が、浮かび上がったとき浮木の穴に、ひょいと頭を入れることがあるだろうか?」と。
阿難は、限りなく可能性は低いと答えました。
それに対してお釈迦様は「人間に生を受けることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなのだよ」と答えました。
マンボウが一度に産む卵の数は3億個。 アリの数は約一京(けい・一兆の一万倍)で、すべてのアリの重さを計算すると、全人類の総重量に匹敵します。
昆虫の総数は、百京を上るといわれています。
人間の人口を上乗せして百億にしても、昆虫の数(百京)は一億倍になります。
単純計算すると、人間に生まれる確率は昆虫の一億分の一です。
これだけ、人間に生まれるということは難しいことなのです。
「有り難い(ありがたい)」とは「有ることが難しい」ということで、滅多にないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないということが、お釈迦様の教えです。
これが「ありがとう」の語源です。
最近では、感謝に関する書籍も出版されているほどです。
それだけ私たちは、感謝ということを忘れているのかもしれません。
感謝の反対は「当たり前」です。
本来、人間として生まれてきたことに感謝しなければいけないのですから、毎朝目が覚めて普通に生活ができることに対しても、最高の感謝をするべきです。
ところが、毎朝目が覚めて、食事をして、仕事をして、仲間と語らい、お酒を飲み、グッスリと眠れることが、当たり前のことだと錯覚してしまいます。
正直なところ、この記事を書きながら反省しています。感謝が足りなかったと…。
56歳にもなって、この調子なのですから先が思いやられます。
大袈裟かもしれませんが、何があってもすべてに感謝なのです。
人間として生まれること、そして生きることが奇跡としか言いようがありません。
私たち人間すべては、幸運な生物体の集まりなのです。
また、感謝に関する偉人の名言もいっぱいあります。
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●感謝の気持ちを表すときは、言葉ではなく、感謝の生活を送ることが最も大切であることを忘れてはいけません。(ジョン・F・ケネデ)
●感謝は心の記憶です。(ジャン・バプティスト・マシュー)
●私は日々、自分の内外両面の生活が、現在や過去の人々の功績や努力のおかげであることを忘れたことはありません。(アインシュタイン)
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会社経営ができるのも「従業員」「お客様」「取引先」があるからです。
もし、あなたが二代目、三代目の経営者ならば、先祖がいたから、先代がいたから、経営ができるのです。
そう考えると、あなたが今ここに居るのも、お父さんとお母さんがいるからです。
お父さんとお母さんがいるのは、おじいちゃんとおばあちゃんがいるからです。
さらに・・・。
私たちの命は、先祖代々に生かされている命です。 一日に1分でもいいので、先代や先祖を思い出し、感謝する時間を持ちたいものです。
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