「私も同じアイデアを考えていたんだよ! もう5年も前に…。ちょっと早過ぎたかなぁ…」。
このような台詞を時々、耳にすることがあります。
たとえば、ある商品がヒットしたとします。
その商品に使われているアイデアを、私も過去に考えていたという意味です。 アイデアマンであれば、このようなことは時々あるのかもしれません。 ヒット商品が誕生すれば、何十人もの人が同じ台詞を口にします。
以前、ソニーの取締役の講演を聞いたことがあります。 ソニーには「ウォークマン」という大ヒット商品があります。 発売は1979年7月ですから、今から41年も前です。 当時は、歩きながらカセットテープが聞けるというのが最大のウリでした。 当時の日本には、歩きながらカセットテープを聞こうなんて思っている人はいなかったでしょう。 カセットテープは、屋内で聞くものでしたから…。
ソニーの社内では、「ウォークマンを開発したのは俺だ!」という人が十数人もいるそうです。 アイデアを出した人、アイデアを具現化できるように膨らませた人、コンパクトサイズに設計をした人、部品を開発した人、そしてプロジェクトリーダーなど、多くの人が開発に携わったことだけは確かでしょう。 ですから、開発に携わった人全員が開発したことにはなります。
それでも私は、アイデアを出した人は誰なのか興味津々です。 今まで調べたことはありませんが…。
そこで、ウィキペディアを検索してみると、明記してありました。
初代ウォークマンの開発を言い出したのは、当時ソニーの会長で創業者の一人でもあった、盛田昭夫でした。
開発のきっかけは、当時名誉会長の井深大が、旅客機内できれいな音で音楽が聴けるモノを(自分が1人で使うために)作って欲しいと、当時オーディオ事業部長であった大曾根幸三に依頼するところから始まったそうです。
大曾根は、ヘッドホンステレオによるプロトタイプを井深に渡したところ、その性能に驚いた井深が、直ぐに盛田に聴かせ、その可能性に気がついた盛田は商品化を命じました。 ですが、社内からは「録音機能のないテープレコーダーは絶対に売れない!」と反発されましたが、それを押し切り開発を続行しました。 理由は、思いのほか音質が良かったからです。
実際の開発は、黒木靖夫のデザインコーディネイトのもと大曾根部隊のエンジニアによって行われました。 発売当初、マスコミの反応は芳しくなく、宣伝部や営業スタッフはウォークマンを身につけ山手線を1日中ぐるぐる回るという作戦を敢行しました。 日曜には若いスタッフにウォークマンを身につけさせ、街中を歩かせました。 このような宣伝活動が功を制し、発売1ヶ月で3千台の売上から、翌月には3万台の生産となりました。 そして、半年間も供給不足が続くほどの人気となりました。
さて、どのような素晴らしいアイデアでもアウトプットしなければ認知されることはありません。 認知されないということは、世の中に存在していないと同じことです。 また、どんなに素晴らしい商品を開発しても、ウォークマンのように認知してもらうための宣伝活動や営業活動をしなければ、売れなかったでしょう。
もしかしたら、世の中に商品の存在を伝えることは、商品を開発することよりも難しいことなのかもしれません。 そう実感することが多々あります。
大西リポートでお馴染みの元日刊工業新聞新潟市局長の故・大西勇さんは、「新しい商品を開発するよりも、それを売ることの方が100倍難しい!」と言っていました。 私も、まったくの同感です。
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