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気合と根性は必要なのだろうか?


「気合」だの「根性」だのという言葉を聞かなくなって随分と経つ。 すっかり死語になった。昭和の精神論と言っても過言ではない。しかし、本当に気合や根性は必要ないのだろうか? そこで今日は、気合と根性についてわかりやすく解説する。



気合と根性の違いがわからないとう人も多いだろう。

気合には4つの意味があるが、その中でも「精神を集中して事に当たる気勢。また、そのときの掛け声。」が、私たちが使う意味合いだ。一方、根性には3つの意味があるが、その中でも「苦しみや困難に耐え、事を成し遂げようとする強い気力。根気。」が該当する。



「精神論」や「根性論」は、これらに重きを置いたものだが、昭和時代は当たり前のように使われていた。挫けそうになったり、弱気になると、親や先輩、上司に「気合を入れろ!」「根性だ!」と発破をかけられたのを思い出す。これをわかりやすく言えば、「精神を集中して事に当たれば、困難を跳ね返すことができる」ということなのだろうが、部下にこのようなことを言っていると今はパワハラになる。



そもそも、気合と根性で事を成すことができるかと言えば、そうではない。

戦略も、戦術も、スキルも必要だ。目に見えない気合や根性で何とかなるのなら、誰だって何とかなっている。また、気合も根性も数値化できないのがポイントだ。つまり、上手くいかなかったら気合と根性が足りなかったで済まされる。



高度成長期は、大量生産・大量消費の時代だったから、質というより量が重視された。

他社より量産するには、大規模な設備投資をする以外には、長時間労働をするしかなかった。来る日も来る日も残業…。それが当たり前の毎日だ。長時間労働に耐えるには、気合も根性が必要だ。もちろん体力も必要だ。



当時のことを振り返ってみると、体力がないのも、病気がちなのも「気合と根性が足りない!」と、本気で言っている上司がぞろぞろいた。恐ろしい時代だ。今の若い人が聞いたら、「バカじゃない!」と言うだろう。私もそう思う。クレージーな時代だ。「24時間戦えますか?」なんていう、リゲインのテレビコマーシャルが放映されて話題になった。24時間戦えるはずないだろう。時代変われば、価値観も変わる。



このように、今から30年以上前は、気合と根性がビジネスの現場で当たり前に使われ、気合と根性が必要だと信じられていた。しかし、コンピュータを皮切りにデジタル機器や省人化システムが登場してからは、気合と根性などなくても仕事ができるようになったし、気合と根性が必要な仕事は悪なのだ。また、「働き方改革」で、仕事に対する価値観も大きく変わった。



私は昔から、気合や根性という言葉を使うことは滅多になかった。

理由は、気合も根性も嫌いだったからだ。ところが、営業や経営など、直接、数値と関わる仕事が長くなると一概にそうとも言えないことに気づいた。経営はお金をいかにコントロールするのかだ。インプットがあり、アウトプットがある。



時にはアウトプットがインプットを上回ることがある。

そうなれば赤字ということだ。また、営業マンが営業目標を達成できなければ、ストレスが貯まる。そんな時、自分の「気持ち」「気分」「心理状態」と戦わなくてはいけない。諦めるのは簡単だが、諦めずに劣勢を逆転する源になるのは間違いなく「気合」や「根性」だ。



また、今のように変化の激しい時代は、悠長なことを言ってられない。

変化に適応するだけでもかなりのストレスになる。そんな時、必要なのはやはり「気合」と「根性」だ。今のところ私の考えは、これからは気合と根性こそが混沌とした社会では必要ではないかと思う。




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