ライト兄弟のふたつの真実とは?

ライト兄弟といえば、アメリカの動力飛行機の発明者であり、世界初の飛行機パイロットです。1903年に世界初の有人動力飛行に成功したことで有名になりました。 ここまでは、ほとんどの人がご存知だと思います。 そして、失敗しても、失敗しても、諦めずにやれば必ず成就することを証明してくれました。

ですが、世界初の友人動力飛行に成功した後は、決して幸せてとはいえば人生をおくりました。人生とは、

「点」だけを捉えると成功に見えますが、「線」で捉えると決して成功ではないこともあります。

そこで今日は、ライト兄弟を題材に、線で捉える大切さをわかりやすく解説します。

ライト兄弟が、世界初の有人動力飛行に成功したライトフライヤー号100周年に向けて、ライトフライヤー号を復元する研究がいくつか行われました。 コンピュータのシミュレーションでは姿勢が安定せずに普通に飛べず、完成した復元機に至っては離陸すらできなかったそうです。 つまり、ライト兄弟は飛びもしない飛行機で有人飛行に成功したのです。

これに関しては、当日の強風と、それをものともしないライト兄弟の操縦技術のおかげだという見解もあります。しかも、初飛行を見ていたのはわずか5人だったということです。

風が味方をしたといえばそれまでですが、諦めずに継続すれば、このような奇跡的なことも起こるかもしれません…。

世界的に有名になったライト兄弟ですが、その後を知っている人は少いと思います。 1903年の初飛行から9年後、兄のウィルバーは45歳で亡くなました。

ライト兄弟は、自分たちの飛行機設計の技術に特許を取っていました。 この特許により、ライト兄弟の技術はお金を払わない限り、他人が使うことはできなくなりました。 多くの人が飛行技術の研究を行い、ライト兄弟の飛行機を参考に作られたものも登場しました。

類似の飛行機や技術が登場すると、ライト兄弟は特許侵害だとケチをつけました。 特許を所有する者としては当たり前の権利です。 ですが、「これは、自分が考えたものだ」と反論してきます。

こうなると泥試合です。結果、裁判が始まります。

裁判には、時間とお金がかかります。ライト兄弟は、裁判に時間を取られるようになり、飛行機を改良する時間を持てなくなってしまったのです。

その間、ライバルたちの飛行機の技術はどんどん良くなり、ライト兄弟の技術は、どんどん時代遅れになっていきました。 飛行機の大会に出ても、ライト兄弟の飛行機は良い成績を残せなくなりました。

そんな最中、兄のウィルバーは45才で亡くなりました。

そして3年後、弟オーヴィルも飛行機作りをやめて、ライト兄弟は飛行機の世界から完全撤退ということになりました…。 これが、ライト兄弟の結末です。

ものすごい苦労を重ね、人生をかけて飛行機を完成さたライト兄弟ですが、その技術をひたすら独占しようとしたわけです。 ライト兄弟は世界初の有人動力飛行を堺に一転したということです。 ひたすら、ひとつの成功にこだわったのです。

むしろ、特許など取らずに、世界に無償公開することで、飛行技術はもっともっと早く進歩したことでしょう…。 それを拒んだのがライト兄弟ということです。

この逸話は、大野正人さんの著書「失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!」に掲載されています。

このように、人生を「点」で捉えると、ライト兄弟は輝かしい成功者です。 ところが、人生を「線」で捉えると、ライト兄弟は成功に胡座をかいて、まったく進歩しなかった人です。 一時の成功で喜んではいけません。問題は、成功した後どのように生きたかです。 ●株式会社リンケージM.Iコンサルティングのオフィシャルメルマガの登録はこちら。

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